山越直毅・おこしさんの事 (文章・たぁさん、依頼・ちどり)

たぁさんからの報告です
連絡ありがとう。 この間のおこしの送別会のご報告です。またみなさんにお知らせください。
おこしの送別会に城殿くん(ヒメ)と2人で行ってきました。 この送別会は、おこしが働いていた日本語学校の先生たちが企画してくださったもので、ご両親はじめ、おこしが記事を書いていた連合通信社の方たちも参加していました。
会場となっな天ぷら屋「あらかわ」さんの2代目さんがおこしと仲良しだったそうで、入院中に毎週お見舞いに来てくれていたそうです。 参加は23名。冒頭、学生時代の思い出を城殿くんが話し、連合通信社の方と、日本語学校の先生がそれぞれ思い出を語ってくださいました。記者時代には、雲仙の被災地や阪神淡路の震災を取材したり、その後は北欧を巡って介護に向き合う福祉の国の実践を書いたりしていました。連合通信社の当時の記事のコピーを持ってきてくださいました。
日本語学校では、中、上級者向けの講義を担当し、当時新設された「総合科目」の授業の教材を自作したりして、生徒からも同僚からも好かれていたようです。学生さんとはよく飲みに行ったみたいで、池袋辺りの中華料理店をよく知っていたそう。ミニアルバムをつくってくださっていました。
僕からは学生時代のおこしの写真とコンサートのCDをご両親にお渡ししました。学生時代の写真では、日本語学校の先生がたからは、「髪の毛がある!」など、「だいぶイメージが違うね」、という声が聞かれました。
その後、様々思い出話しをして、最後にお店のご好意に甘えて、おこしのギターを借りて、2人で「ケサラ」を唄いました。
最後のご両親からのあいさつでは、お父様、お母様それぞれが声をつまらせながらお礼の言葉をいただきました。 連合通信社、日本語学校の時代には、音楽しているところはほとんど見せなかったようです。コンサートのことなどお話しすると、驚いていました。
皆さんとお話ししていて、おこしは伝える、ということにこだわってきて、だから歌を歌い、記事を書き、そして教師として教えてきたのではないか、やりたいことをやれてきたんではないか、ということで、連合通信社の方とも、日本語学校の先生方とも、共感することができました。
おこしのギターは、ご両親が持ってきてくださったのですが、「誰かに弾いてもらいたい」ということで、僕が持ち帰らせていただくことになりました。
またこのギターでライブしますので、聴きに来てやってください。

2016.7